第51回地盤工学研究発表会

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講演内容

開催日
2016914 13:30~15:25
会 場

岡山大学
創立50周年記念館 金光ホール

会 費

無料(事前申込不要)

講 師

講演内容
石原 研而先生講演時間 13:35~14:05
「我国における土質力学誕生の頃の回顧と地盤工学会の発展」
足立 紀尚先生講演時間 14:05~14:35
「関西における土質工学の歩み」
河野 伊一郎先生講演時間 14:45~15:05
「岡山地方における地盤工学の進展」
藤井 弘章先生講演時間 15:05~15:25
「岡山平野の干拓」

講演内容

我国における土質力学誕生の頃の回顧と地盤工学会の発展(講演時間 13:35~14:05)
講師 石原 研而先生
 戦前(1940年以前)の土質力学は、当時の自然災害の調査や鉄道建設に伴う研究が主なものであった。戦争により焦土と化した国土には土と瓦礫しか残されておらず、ゼロからスタートした復興と発展のために果たした土質力学の役割は計り知れないものであったといえる。そのためには学術の発達のみでは不十分で、各種事業機関の間の情報交換や協力が必要であった。この重大な役割を果たしたのが土質工学会(現地盤工学会)である。この学会の形成と発展の中でも決定的に重要であったのは土質工学用語の整備と土質分類法、調査法・試験法等の情報交換のためのインフラ整備であったといえよう。そこで、これら学会設立とその成長期(1949~2000年)における主な事業とそれに献身的に貢献された諸先輩の活動について紹介するのが本講演の第一の目的である。
 土質力学で取り扱う土は粘性土と砂質土に大別されるが、前者は圧密沈下やすべりに関係してヨーロッパや米国で研究開発がなされた。これらは静的載荷環境を対象としており、動的挙動は研究の対象とはならなかった。それに対して砂質土は静的より動的荷重のもとでの課題がより重要視され、その研究は地震時の液状化に関連して我国で大きく発展してきた。そこで砂質土の変形特性を支配する根本原理は何であろうか、について考えてみた。たどりついたのは摩擦則とダイレタンシー則の2つに帰すると思われる。これらについて講演者の考えを紹介するのが第2の課題である。
関西における土質工学の歩み(講演時間 14:05~14:35)
講師 足立 紀尚先生
 戦前は土質力学が全くなかった。国土建設は軍事を中心とした鉄道建設であり、内務省は国土建設を担っていたが「水を治める者は国を治める」で、道路とか港湾は冷害や自然災害時の失業対策であった。(元土質工学会会長:谷藤正三氏談)
 関西の地盤工学は、昭和10年頃からの「地盤沈下」問題に端を発したと考えるが、土質工学会関西支部の発足は、他支部に比べ遅く昭和33年(1958年)であった。それは、関西は本部の主要メンバーとの意識が強く、かつ「関西支部の名のもとに本部の支配下に入るのをいさぎよしとしない空気が強かった」(渋谷平八郎氏談)とのことである。
 以上の経緯を踏まえ、以下の内容で責を果たすことにする。 1.はじめに:地盤沈下と創生・保生・再生、2.地盤工学会関西支部、3.関西での主たる国際会議と学術の進展、4.インフラの創生・保生・再生、5.地盤と災害、6.関西圏地盤情報データベース、7.おわりに:夢。
岡山地方における地盤工学の進展(講演時間 14:45~15:05)
講師 河野 伊一郎先生
 岡山地方の地盤環境の特徴は、岡山県南部瀬戸内海沿岸に広がる超軟弱粘土地盤である。これは、岡山地方を南下する水量豊かな三大河川(吉井川・旭川・高梁川)によって造成されたものである。また県北部には花崗岩を主体とした多様な構成を成す岡のような山(岡山の名称の源という説もある)が数多く存在する。
 戦後(昭和20年代以降)、瀬戸内海沿岸で地盤工学上興味深い三大工事が行われた(水島湾の埋立て・児島湾の締切りと干拓・錦海湾の塩田工事)。
昭和50年代になって、瀬戸大橋建設に伴って、高速道路の建設(中国縦貫道・山陽自動車道・中国横断道・瀬戸大橋道など)が行われて、軟弱地盤上の盛土など多くの地盤工学の問題が生起し、多くの研究者、技術者が来岡し活躍した。
 昭和54~63 年に、日本で初めての本格的な山岳空港(岡山空港)の建設が行われた。まさに山を切り、谷を埋める大工事である。最大埋立て深さは70mに及び、3000m級の現岡山空港が完成した。
岡山平野の干拓(講演時間 15:05~15:25)
講師 藤井 弘章先生
 万葉集に歌われた、「真金吹く吉備」の国は、現在の岡山県がその大半を占める。日本書紀によると、そこには、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が渡ったという「(吉備の)穴海」があり、「吉備子州(児島:キビノコシマ)」があった。吉備子州は、陽・陰の神イザナギ・イザナミノミコトの「国生み」で、最初の大日本(オオヤマト)豊秋津州から八番目に産まれ、これをもって「大八州国(オオヤシマノクニ)」が完成したとしている。古事記にも同様の記述がある。つまり、記・紀の時代(712・720年成立)には、現在の児島半島は島であった。吉備の児島は、万葉(771-790)・古今集(905)等各歌集にも数々歌われている。
 これが、現在のように陸続きになったのは、中国山地に端を発し、岡山平野へ流れ下る三大河川(高梁・旭・吉井川)による土砂の堆積作用もあるが、先人の努力によるところが大きい。すなわち、人力よる干拓で海を陸地化し、耕地を造成し、新田を開発してきたことに因る。岡山平野における耕地面積は約25,000haとされるが、その内、じつに約20,000haが干拓によって造成された。
 干拓は、浅い海(大半が干潟)を堤防で締め切り、堤内の水を排水して干陸する。岡山平野においては、小規模な干拓が奈良時代から行なわれていたと言われる。本格的な干拓は、岡山藩主宇喜多秀家が、岡豊前守利勝、千原九右衛門勝則に命じて築造した「宇喜多堤」(1584-1585年)に始まるとしてよい。この二人は、羽柴秀吉の、高松城水攻めの築堤工事(1582年)の際、宇喜多勢約8,000人の工事責任者として、最も重要な部分の築堤を委された。そして、水攻めの提案者である、黒田官兵衛の指導に基づき工事を完遂していた。つまり、彼らは、当時、最先端の「軍事のための技術」(Military Engineering)を習得し、年余にして、「人民のための技術」(Civil Engineering:土木工学)として、転・活用したと言える。
 新田開発は、秀家が岡山藩主であった1600年までに1,000ha弱、池田家の江戸時代の約270年間に約12,000haに達した。明治時代になると、オランダからのお雇い外国人のムルドルらにより、児島湾の干拓計画がなされ、戦後の児島湾干拓(1963年完成)、笠岡湾干拓(1990年完成)に繋がったのである。今や、これらは耕地としてだけでなく、都市基盤としても重要な役割を担っている。
 岡山平野の干拓は、戦国時代から平成までの5世紀間にまたがる、先人の営々たる国土創成の歴史であり、人の手による壮大な「国生み」であると言えよう。
(「藤井他、中国地方の干拓工事—特に岡山平野を中心に、土質工学会誌、38-3, 1990」、抜粋、加筆)

講師プロフィール

石原 研而先生(中央大学研究開発機構教授、東京大学名誉教授)
石原 研而先生 岡山県香登町出身。島根県立大田高校を経て、1957年東京大学工学部土木工学科を卒業。同大学院修士課程を経て東京大学に勤務。1995年東京大学を定年退官後、2001年まで東京理科大学教授、2002年より中央大学特任教授を経て現在、中央大学研究開発機構に所属。
 大学卒業時より土の動力学、特に砂の液状化の実験や原位置調査に従事。1996~1998年土質工学会会長、1997~2001年国際地盤工学会会長。著書には「土質力学(丸善出版)」、「土質動力学の基礎(鹿島出版会)」、「Soil Behaviour in Earthquake Geotechnics(オックスフォード出版)」等がある。
足立 紀尚先生(京都大学名誉教授)
足立 紀尚先生 京都大学工学部土木工学科を卒業、同修士課程修了、カリフォルニア大バークレイ校博士課程修了、1970年より京都大学工学部、防災研究所に勤務、助教授、教授を経て、2002年停年退官、同年財団法人地域地盤環境研究所理事長に就任、現在に至る。地盤工学会においては、関西支部長、理事、副会長、会長を努めた。
 専門は、土質工学、岩盤工学、トンネル工学、ダム工学等である。大学での教育・研究の傍ら、青函トンネル、本四架橋、関西空港、高速道路、新幹線等国家的プロジェクトや諸官庁の各種委員会への参画が、基礎学理と具体的問題解明等の研究推進の大いなる糧となる。
 また、越前海岸岩盤崩落事故調査委員会、地盤工学会阪神大震災調査委員会、新幹線トンネル覆工剥落事故検討会等の委員長を務め、災害や事故の原因究明及び対策立案に関わり、創生(生む)に加え保生(生かし続ける)や再生(蘇らせる)が重要な責務であることを強く認識している。
河野 伊一郎先生(倉敷芸術科学大学学長)
河野 伊一郎先生 滋賀県生まれ。昭和28年台風13号で洪水災害(野洲川)を体験。京都大学工学部(土木工学科)に学び、昭和36年卒業。同大大学院修士・博士課程で修学。びわ湖総合開発計画調査(周辺の地下水への影響)に参加。地下水・浸透問題をライフワークにする。
 京都大学講師、助教授(オランダ・デルフト大学客員研究員)を経て、昭和50年岡山大学教授に就任。岡山大学土木工学科(国立大学最後の土木工学科)創設に参加。岡山大学工学部長、同環境理工学部長を経て、岡山大学学長(1999~2005 年)に就任、国立大学の法人化の業務を成す。国立高等専門学校機構理事長(2005~2009 年)、倉敷芸術科学大学学長(2015 年~)に就任、現在に至る。
藤井 弘章先生(岡山県土地改良事業団体連合会技術顧問)
 京都大学農学部卒業(農業工学科土木専攻)、アメリカ合衆国インディアナ州立パーデユー大学大学院修士課程留学(地盤工学専攻)。北海道開発局、鹿島建設研究所を経て、岡山大学着任。農学部教授を経て環境理工学部名誉教授。農学博士(京都大学)、技術士(土質および基礎、農業土木)。地盤工学会名誉会員、日本農業工学会フェロー。岡山県土地改良事業団体連合会 技術顧問。